
はじめまして。
茨城乳配株式会社の代表取締役社長を務める吉川国之です。
茨城乳配は、茨城県を中心に、関東全域で冷蔵・冷凍食品に特化した総合物流サービスを展開している企業です。独自の共同配送ネットワークに強みを持ち、「性格の良い会社を創る」というミッションのもと、人づくりを根幹に据えた経営を実践しています。
2025年に会社設立60周年を迎え、次の100年を目指す茨城乳配。
その跡継ぎとして、最初は葛藤の中で足を踏み入れた私が、経営不安や東日本大震災を越えて辿り着いたのが、「性格の良い会社」という答えでした。物流会社らしからぬこの理念を掲げるに至った背景、そして次世代を見据えたビジョンまで、私の歩みとともにお話しします。
▼予想外だった「後継者」への道。その中で抱えた葛藤の日々
茨城乳配は、私の伯父と父が創業した会社です。創業社長の伯父を早くに亡くし、父が2代目、私が3代目として会社を受け継いでいます。
しかし、私は3人兄妹の末っ子であり、当初は自分が会社を継ぐことになるとは思ってもいませんでした。
私たち兄妹は、創業社長だった伯父をとても慕っていたのですが、彼は若くして肺がんで亡くなってしまいました。そして、兄は伯父の死をきっかけに「病気で苦しむ人を救いたい」と、医師を目指すようになったのです。やがて姉も「デザイナー」という夢に向かって走りだしました。
両親も兄と姉の夢を応援していたので、中学生だった私も、「将来は自分のやりたいことをやっていいのかな」と期待を持っていました。ところが、父に話をすると、「会社の跡継ぎは、もうお前しかいない。ダメだ」と断言されてしまったのです。それでも、淡い期待を抱きながら学生時代を過ごしていましたが、「私に跡を継いでほしい」という父の想いが変わることはありませんでした。
その後、私は大学を卒業し、損害保険会社で営業職として従事しました。
積極的な理由で進んだのではなく、「いつか会社を継ぐ」までの“猶予期間”として「自分の『自由』を謳歌しよう」、と考え、選んだ道だったのです。
▼迷いの中での入社。そして社会を震撼させた重大事件を機に、磨いた事業の強み
損害保険会社に新卒入社してから6年が経とうとしていた頃、父から「そろそろ戻ってきてほしい」という話がありました。
その時、私には「断る」という選択肢もあったのかもしれません。それでも、私にはそれができませんでした。脳裏に浮かんだのは、幼少期に茨城乳配の社員さんたちに遊んでもらった記憶でした。年末には、一緒に餅つきを楽しんだ思い出もありました。父の申し出を断れば、その人たちを裏切ることになるような気がしたのです。
結局、私は迷いと葛藤を抱えたまま、茨城乳配に入社することになりました。
そのような気持ちで入社したので、仕事に情熱も持てず、なんとなく出社して定時で帰るという日々を繰り返していました。当時はただの「社長のバカ息子」でしかなかったと自分でも思います。
そして数年後、物流業界にも大きな打撃を与えた事件が起こりました。
2000年に発生した、ある大手乳業メーカーの集団食中毒事件です。多くの被害者を出した重大な事件ですが、その裏側で製品流通がストップし、そのメーカーの商品を運んでいた多くの物流会社が廃業や売却を余儀なくされました。
私たちが直接被害を受けたわけではありませんが、決して他人事ではなく、「自分たちもいつ同じ状況に直面するか分からない」と、強い危機感を覚えました。当時の茨城乳配は9割以上の売上を別の大手乳業メーカーに頼っていました。そのメーカーに万が一の事態が起きてしまったら、間違いなく私たちの会社は倒産に追い込まれるでしょう。特定1社への依存から脱却するため、私は新たな得意先の拡大に必死で取り組みました。
しかし、その時はまだ「社員のため」ではなく、「自分が生きていくため」でしかありませんでした。
当初は「何でもやります」という姿勢で、来る依頼をすべて受けていたところ、他社が敬遠するような、単価が安く拘束時間の長い過酷な仕事ばかりが舞い込むようになってしまいました。その結果、社内は疲弊して事故が増え、会社を去っていく社員も増えてしまったのです。
この状況を打破し、長期にわたって安定した経営を続けていくためには、会社の突出した「強み」をつくらなければならない――。
ここから、茨城乳配は「冷凍・冷蔵食品特化の物流会社」として、強みを磨き上げていったのです。
▼あの東日本大震災の夜、社員たちに教えられた「経営者の使命」
あくまで自分のために会社を成長させようとしていた私ですが、その根底を揺さぶる大きな出来事が起きました。
それが、2011年3月11日の東日本大震災です。
茨城県に本社を構える当社も被害を受け、社屋の一部が崩落し、社内の設備や備品も損傷しました。県内広域で停電が発生し、道路状況も酷く、とても通常業務を行える状況ではありませんでした。
しかし14時46分に地震が発生し、各地で被害が出ているにもかかわらず、その日の夜間配送担当者のほぼ全員が出社してきたのです。
自分の車を自宅に置き、エアコンの効く暖かい車内に家族を退避させたうえで、自分自身は自転車や徒歩で出社してくれた社員も多く、中には自宅から2時間以上かけて歩いてきた社員もいました。
この光景に、私は価値観を根底から揺さぶられる思いでした。
「非常時に家族のもとを離れて、当たり前のように仕事に駆けつける」
これまでの私の常識では、考えられないことだったのです。
それと同時に、社員たちがこの仕事に強い「誇り」を持って臨んでいることに気づかされました。
「私たちが食品を届けないと、困る人々が大勢いる」
そのような使命感を持っているからこそ、非常時でも彼らは出社してきたのです。
当時の私よりも、彼らの方がはるかに強い使命感を持っていることを実感しました。
震災直後は停電のため、冷凍・冷蔵食品を扱う私たちが配送業務を行うことは難しく、その日は帰宅を促しました。それでも社員たちは「明日も会社に来る」と言って、再び長い帰路を辿っていきました。
数日後、通信網や道路状況も回復し始め、私たちも少しずつ通常業務を再開することができました。
そして、震災時の一連の出来事を通じ、私の中から何か熱く込み上げてくるものを感じました。
この大切な社員たちの誇りを、そして未来を、私が守らなければならない――。
この時から、私の人生は一変し、仕事への向き合い方も大きく変化しました。
「私の残りの人生を懸けて、社員たちのために尽くそう」
そう固く決意したのです。
それからは趣味のサーフィンやスキーもすべて止めて、4年間経営大学院で勉強をし直しました。
「社員にとっても、彼らの家族にとっても、誇りを持ってもらえるような会社を創っていこう」
この経験が原点となり、現在の「性格の良い会社を創る」というミッションにつながっていくのです。

▼強固な組織を支える企業理念:「性格の良い会社を創る」が生まれた背景
茨城乳配は冷凍・冷蔵食品に特化した物流サービスを提供し、関東に8拠点を展開、300人以上の従業員が働いています。さらに、茨城と栃木エリアの「共同配送」において、トップシェアを持っているのも当社の強みの一つです。
そして、私たちの最大の強みが「性格の良い会社を創る」というミッションに基づいた組織づくりです。
私が代表取締役社長に就任した当初は、意思決定の軸となる経営理念がなかったため、その策定を進めていました。このミッションは、当時、私が「性格の良い会社を創りたい」と無意識に発していたことが起点となっています。
理念策定にあたり、中小企業であっても日本のために貢献できる会社にしたいと考えました。
その際にふと浮かんだのが、日本という国の「高い信用力」です。私たち日本人がビザなしで180か国以上の国に行けることも、その象徴だと思いました。
そして私は、その「高い信用力」の源は、日本人の「人柄」にあるという考えに至ったのです。
性格の良さや人間力の高さが、結果として日本の力になっているのではないか。
それならば、「性格の良い会社」を創れば、社員とその家族、そして地域や社会が幸せになり、ひいては国への貢献にもつながる――。
こうした経緯から、「性格の良い会社を創る」というミッションが誕生しました。
また、私には物流業界の常識を変えたいという想いもありました。
この業界では、ドライバー社員が名刺を持っていないケースも少なくありません。当時のドライバーの中には、名刺もないからと自分の職業を言わない人もいましたし、世間からは荒っぽい業界として見られることもありました。
そうではなく、社員が心から自分の仕事に誇りを持ち、配偶者や子どもにきちんと胸を張れる仕事にしたいのです。社員を最も支えているのは、その家族だと思います。だからこそ、私は社員の家族も「茨城乳配の一員」だと考え、それを反映した組織づくりに努めています。
▼「定着率95%」を支える組織体制:温度が伝わるマネジメントとコミュニケーション
「性格の良い会社」を目指す変革期には、会社に反発する人や、考えが合わずに会社を離れていく人がいたのも事実です。しかし近年では、この価値観に共感する仲間が増え、本当に素晴らしい人材が集まっていると感じています。ありがたいことに、当社の1年間の定着率は95%、3年間の定着率も90%以上という高さを維持しています。
「性格の良い会社を創る」ためには、会社が安定的に成長を続けていくことが大前提ですが、それと同時に、社員が安心して働ける環境や体制を整えることも重要だと考えています。
そのために様々な仕組みや体制を構築していますが、そのうちの一つが、「社員一人ひとりへの個別マネジメント」です。
多くの物流会社では、「チーム単位」のマネジメントが基本だと思いますが、ドライバーは営業所から出発して帰社するまで、基本的に一人で業務にあたっています。「チーム」で働く時間よりも、圧倒的に「一人」の時間が長いのです。ですから、私たちもチームごとの管理は行いつつも、一律に当てはめるのではなく、各拠点長やリーダーが一人ひとりのメンバーに合わせたマネジメントを実施しています。
例えば「無事故○○万キロ」などの目標も、チーム単位ではなく、個人ごとに設定しています。一人の時間が長いからこそ、個々に合わせた目標でなければ、「自分事」として捉えられないと思うのです。
また、定期面談の際には、人事考課に関わる話題だけでなく、何気ない日常の会話も大事にしています。
「彼女ができた」「子どもが野球を始めた」といった、一人ひとりの日常や人となりを知り、信頼関係を築くことが何より重要だと考えているからです。こうした細やかなやり取りを積み重ね、関係性を深めているからこそ、会社からのキャリアプラン提案やアドバイスにも、社員が素直に耳を傾けてくれるのだと感じています。
300人以上いる社員の個別マネジメントは、決して簡単なことではありませんが、それこそが私たちの強みにつながっていると確信しています。
会社や上司は、社員の人生において、言葉に耳を傾けてもらえる“三人称以内”の登場人物にならなくてはなりません。そうでなければ、会社が何を伝えても社員の心には響かないでしょう。だからこそ、管理職には「温度が伝わるマネジメント」を実践するよう伝え、組織全体にその考え方を広げています。
そうした土壌があるからこそ、定着率95%という結果にもつながっているのだと感じています。
▼新しい挑戦を続けて、独自の価値を生み出せる強さ
私は、一般的な物流会社にはない「違い」を生み出すことを意識しています。
「違い」がないということは、砂浜の中からガラス玉を見つけ出すようなもので、それでは顧客から選んでもらうことはできません。「性格の良い会社を創る」という組織づくりを中核に据えながら、その他にも様々な新しいチャレンジを行っています。
例えば、当社は茨城県内の物流企業として初めて「SBT認証」を取得しました。SBTとは、パリ協定の水準に整合した温室効果ガス削減目標のことです。
法的な取得義務はありませんが、世界的な脱炭素化の流れを受けて、いずれは対応が必要だと考え、先んじて取得しました。中小企業であっても、時代に先駆けた対策を整えられる会社でありたいのです。
また、当社は「健康経営」にも本気で取り組んでおり、その結果として「健康経営優良法人」にも認定されています。
しかし、目的は認定そのものではなく、あくまで「社員が健康で長く働き続けられること」です。そのため、当社では制度上の要件とは直接関係のない取り組みも行っています。
その一環で始めたのが、子どもの頃に経験した「体力測定」です。企業向けに開発されたサービスを導入し、反復横跳びや握力などの体力テストを実施しています。
「昔サッカーが得意だったから、今でもプロ選手と同じくらい動ける」と思っているベテラン社員もいますが、私自身も含め、若い頃のようには体が動いてくれないのが現実です。自分の体を過信して、大怪我につながることがないように、「自分を正しく認識する」機会をつくることが重要だと考えています。
仕事のミスで体の衰えを痛感するのではなく、「実年齢より体力年齢が高かった」「思ったよりまだ若い」とテストの結果を仲間と共有し、楽しみながら現実を受け止める方が、ショックも幾分は和らぐと思うのです。
会社としても、社員の体の状態に応じて、仕事を調整する判断材料にもなります。社員にはいつまでも自信を持って働き続けてほしいと願い、こうした取り組みを進めているのです。
心身ともに社員が満足度高く働ける環境や風土をつくることこそが、「性格の良い会社を創り、社会に貢献する」ために不可欠なことだと、私は心から信じています。
▼茨城乳配の考える「性格の良い人」の条件とは?
一方で、一口に「性格の良い人」といっても、その捉え方は人それぞれです。だからこそ、茨城乳配では「性格の良さ」の条件を10か条として定めています。
それは、「感謝ができる」「陰口・悪口を言わない」「原因を自分に求める」「明るく笑顔でいる」「法律やルールを守る」など、すべて子どもの頃に教わった基本的なことです。
様々な経験を重ね、社会の現実を知っていくうちに、いつの間にか子ども時代にできていたことが、できなくなっていることがあります。今ある環境が当たり前だと感謝の心を忘れ、ふとした瞬間に愚痴や文句をこぼしている。
しかし、かつてできていたことならば、大人も本来その力はあるはずです。子ども時代にできたことを、大人になっても実践できたのなら、誰から見ても「ちゃんとしている」「気持ちが良い」という印象を与えられると思うのです。この行動習慣が根付くことで、言葉を交わさなくても雰囲気から「性格の良さ」がにじみ出てくると考えています。
社員には、この10か条すべてを極めるのではなく、1つか2つを徹底的に磨いてほしいと伝えています。
「陰口・悪口を言わない人間と言えば私のことです」と名刺に書けるくらいに磨き上げれば、その肩書以上の信頼や価値が付いてくるはずです。信頼を得る力は、一人の人間として最も強固な武器になります。それが本人の自信となり、ひいては家庭や地域にも良い影響をもたらすのではないでしょうか。
そのかけがえのない武器を持たせることができる会社であり続けたいと思っています。

▼今後、会社で実現したいこと
「性格の良い会社を創る」という組織づくりの先には、次世代が「この会社を継ぎたい」と思える会社を創っていくという、経営者としての責務があります。
私は現在57歳ですが、65歳くらいには現場を引退しようと考えています。その頃には、自分自身の意思決定力が鈍ると感じているからです。
中小企業の後継者不足が叫ばれて久しいですが、当社も決して他人事ではありません。私には3人の子どもがいますが、無理に継がせるつもりはありません。それよりも、「継ぎたいと思えるような面白い会社」を創ることで、自然と未来へと受け継がれる価値をつくる方が効果的だと思うのです。そしてこれこそが、後継者不足問題を解消する最も有効な策だと考えています。
事業承継において、この「面白い」という要素が非常に重要だと私は思います。
だからこそ、「物流業界らしからぬ社風」や「挑戦を続ける事業戦略」といった、後継者に魅力を感じてもらえる会社であることが不可欠なのです。
もちろん、そのためには一定の売上や企業規模が必要です。市場での存在感を示すことで、新規事業の展開や地域のコングロマリット企業を目指すなど、より大きな挑戦も可能になります。
「継ぎたくなる会社」を創るため、65歳になるまでに売上規模100億円を目指していきます。金額そのものにこだわりがあるわけではありません。さらに「面白い」挑戦をし、社員の幸せへ投資し続けるための最低基準が、売上100億円だと考えているからです。
後継者は、自分の子どもでも、外部の方でも構いません。ただ、私たちの会社に魅力を感じ、「継ぎたい」と言ってもらえるような組織を創っていきたいと思います。そのために、私は全力を尽くす覚悟です。
▼さいごに
「継ぎたくなる会社」を創り、次世代につなぐことができれば、少しでも地域や国へ貢献ができると信じています。
引退後の人生については、まだ決めていませんが、地域の課題解決につながるような仕事ができたら、と漠然と考えています。具体的な計画をまったく描けていないので、65歳以降の居場所探しも私の人生の次なる課題なのかもしれません。
あとは、ずっと支えてきてくれた妻や子どもたちに感謝しながら、暮らしていけたらと思っています。
茨城乳配に入社した当初は「社長のバカ息子」でしかなかった私ですが、少なくともそこからは成長できていると感じています。「性格の良い会社」を目指して組織づくりを進め、今では素晴らしい仲間たちとともに、事業成長を目指して前進できることに心から感謝しています。
引退後に初めて、私の経営に対する“答え”が出ると楽しみにしています。
社員が変わらず気にかけてくれるのか、それとも一切連絡が来ないのか。
少しドキドキしながら、その時が来るのを待っています。
茨城乳配はこれからも、「性格の良い会社を創り、社会に貢献する」ことを目指し、全社一丸となって成長を続けていきます。
