
はじめまして。 合同会社MYSTARの代表を務める西原翔吾です。
代表を務めながら、自らも声優や俳優として、今でも現役で活動しています。
MYSTARは、声優・俳優・タレントのマネジメントと育成を主軸とし、音声制作事業も展開しています。特に、企画、シナリオ制作、キャスティング、そして演出までを一気通貫で手がけることができる企業として、国内外のクライアント様にご支持をいただいております。
▼開発職志望から声優の道へ
私の中学時代の興味は、声優とは異なり開発職に就きたいと考えていました。機械工学を学びたいと高専を受験しましたが、それは叶わず公立の高校に入学し2年生の時には理数コースを選択しました。
また、私はギター部に所属し、その部長を務めていました。演劇部の友人を誘ったところ、男性部員が少ないという理由から、私も誘われ演劇部にも入部することとなりました。
そのような経緯でしたが、演劇を始めてみると面白く、だんだんと夢中になっていく自分がいました。
大勢の方々が注目してくださる中で、私たちの表現によって、その場に笑いや感動が生まれ、内側から満たされるような充実感を覚えたのです。
さらに、地区大会に出場した際には、俳優賞を受賞し、演劇の魅力にどんどん惹かれていきました。
当時、私は理数系が得意だったのですが、演劇方面の道に進みたいという気持ちが芽生えてきたのです。大学進学と迷う中で、偶然にも演劇部の後輩から、「代々木アニメーション学院」のオーディションに誘われました。これを受けたところ、賞を受賞し、1年間授業料免除という特典をいただいたのです。
どちらの道に進むか判断に迷ったため、大学入試も受けてみて、もし落ちたら「代々木アニメーション学院」へ進学することに決めました。結果として、大学入試は国立大学1校しか受けずに不合格となり、代々木アニメーション学院に入学し、芸能の道へ進むことになったのです。
▼声優、舞台、テレビ、ミュージカル ―― 挑戦を続けた20代
専門学校で基礎を学び、19歳の時、TV「つんくタウン」のつんくプロデュース、四丁目企画第3弾「レズパラ」の洋画吹き替えにて、声優デビューを果たしました。
そこから20代は挑戦と模索を繰り返す、紆余曲折の道を歩んでいきました。
デビュー後は、大手プロダクションの養成所に入ると同時に、恩師が立ち上げたプロダクションと劇団にも参加しました。声優だけでなく、映像や舞台にも出演したい気持ちが強くなり、1年間で養成所を退所し、劇団での活動に注力することにしました。
劇団では、ミュージカル、学校演劇の巡業公演、ゲームやナレーションの声優など、多岐にわたる経験をしました。テレビ分野にも興味を持って、テレビ関連の事務所にも所属し、「爆笑問題のバク天」、「行列のできる法律相談所」といった番組の再現VTR、「東京ディズニーシー」、「アミノサプリ」のCMなどにも出演しました。
様々な分野にチャレンジしたのですが、結局、自分の中で「この道で一生生きていく」と断言できるようなものはひとつも見つけられませんでした。そして、安定的な生活の土台を築くことができず、24歳で劇団を退所しました。
▼多様な経験がひとつにつながり始める
24歳の頃から、「社長になりたい」と考えるようになっていました。
様々な劇団やプロダクションの社長を実際に見るうちに、違和感を持つようになったのです。中にはタレントを尊重しない独善的な方もいて、それは私の中の「社長」というイメージとはかけ離れていました。そのうち、自分なりの社長像を描くようになり、やがてその姿と自分を重ねて考えるようになりました。そして、その瞬間に、自らの内なる想いに気づいたのです。
しかし、当時はそのための“材料”が足りないと感じ、まずは必要な経験を積むことに注力し、将来「社長になる」という決心を固めたのです。
劇団退所後、私は声優、俳優、ミュージカル、その他多岐にわたるジャンルを手掛ける劇団を自ら立ち上げました。
この時期に、脚本、企画、ゲーム会社とのコラボ朗読劇など、「制作側」の経験も積んでいきました。そして、「何でも経験してきた」自分だからこそ、多面的な視点で「いい作品」を生み出すことができたのです。劇団の長となり、自分が今まで以上に大きく貢献できたことに、静かで確かな手応えを感じました。
それから、本格的に企画や演出も手掛けるようになり、ミュージカルやアニメにもなった作品の朗読劇「あっくんとカノジョ」の演出も担当しました。さらに、私自身が2.5次元舞台に俳優として出演するなど、役者と制作、双方の経験を重ねていきました。
20代の頃は「自分の道」が見つからず試行錯誤の毎日を過ごしていましたが、それが結果としてできることを増やしていったのです。あの時重ねた失敗がいつの間にか糧となり、自分の力に変わっていたことに気づきました。
自分の引き出しにあるものも多くなってきて、新人タレントから「生放送はどうしたらいいんですか?」、「ファンイベントやりたいんです」などの相談にも応えることができています。
改めて振り返ると、様々な経験をしてきたことは、決して無駄ではなく、すべてが今に至るために必要なものだったと感じています。
▼MYSTAR設立 ―― 代表としての確信
好機に恵まれ、信頼できるビジネスパートナーが現れて、事業運営の見通しがついたため、2019年に「合同会社MYSTAR」を設立しました。
一度37歳の時に、「社長」という立場に就きはしたのですが、当時はどこか違和感を覚えていました。自分の中で描いていた「社長」であるという確信が持てなかったのです。
やっと私は、「MYSTARの社長であり、声優であり、ディレクターである自分」だと確信を持てるようになったのは38歳の時でした。
そう確信できたのは、会社の経営が軌道に乗ってきたことに加え、「MYSTAR」独自のひとつの“カタチ”を確立できたことが大きいと感じています。当社はシナリオ制作から収録、納品まで一貫して対応できる体制があるのですが、それが他社にはない確かな強みとなっていったのです。
さらに同時期に、クライアント様から「MYSTARさんに頼んでよかった」と評価をいただけることが多くなりました。
声優という道を選んでからずっと“安定”とは遠いところにいましたが、その確信を得た時に、大きな安堵感を覚えたことを記憶しています。
もちろん今後、何が起こるかは誰も予測できませんが、会社として信頼され、確固たるひとつの基盤ができたことで、未来に向けて新しい世界を創造できる鮮明なイメージが見えたのです。

▼「MYSTAR」 二つの事業の柱
MYSTARは、大きく分けて2つの側面を持っています。ひとつは声優マネジメント事業、そしてもう一つは音響制作事業です。
声優マネジメントにおいては、所属声優のマネジメントに加え、育成にも力を入れています。さらに、当社にはシナリオライターやエンジニア、音響ディレクターも在籍しており、講義や育成を通じて、全体としてのスキルアップを図っています。
音響制作事業では、ゲームのキャラクターボイス、ナレーション、ボイスドラマなどの収録を行っています。海外企業様との取引もあり、ゲームボイス吹き替えの豊富な収録実績もあります。多種多様な人材がいるため、シナリオ制作から声優ブッキング、収録、納品まで一気通貫で完結できるという強みを持っています。
その他、朗読劇や舞台演出・脚本制作、CMナレーション原稿作成・録音など多岐にわたる業務も手掛けています。
所属タレントは約50人で、その他に音響ディレクター、エンジニア、シナリオライターが合わせて10人ほどいます。現在は、私がすべての窓口を兼任していますが、今後の事業拡大に向けて人材も増やしていく予定です。
▼「MYSTARのさらなる強み」 作品へのこだわりとフレキシブルな対応
会社を設立した当初は、シナリオ制作から一気通貫で対応できる事務所は業界内でも少なく、これが大きな強みとなりました。最近は数社追随する企業も出てきましたが、当社ではその他に、ディレクターやシナリオライターの個別アサインといったきめ細やかな対応も可能です。
クライアント様からは「MYSTARに相談すれば色々ご提案してくれる」というお声をいただくことがあります。これは、当社が様々なご相談に応えてきた証だと感じています。
例えば、「映像制作はできますか?」というご相談があった際には、当社は映像を手掛けていないのですが、提携している映像クリエイターの方をご紹介し、窓口として対応したこともあります。
その他に、他社事務所様が新たに声優事業部を立ち上げる際、アドバイザーとしてお声がけいただいたこともありました。私自身が、多様な経験を重ねてきたからこそ、あらゆるご相談をいただけているのだと思っています。
また、急なご要望や短納期の案件にも可能な限り柔軟に対応しています。短納期でも、クオリティを落とさずに仕上げるなど、ご要望やご予算に合わせて、制作体制を柔軟に調整しています。
ご相談によっては、こちらから企画やキャスティングの提案をすることもあります。
これらは、一つひとつの作品に本気で寄り添い、質の高い制作を追求するための当社の揺るぎないこだわりであり、独自の価値なのです。
こうしたご相談に一つひとつに応えていくことで、当社の信頼の輪が広がっていくのを実感しています。
▼「MYSTARの原点」 ご縁とつながり
声優の道に進むきっかけは演劇を始めたことでしたが、元をたどれば高校時代の演劇部の友人からの紹介でした。
そして当社がシナリオ制作や多岐にわたる業務を手掛けられるのも、実は講師時代のレッスン生たちとのつながりに起点があります。
会社設立前に、私は声優ワークショップで声優・ナレーターの育成を行っていました。その時のレッスン生の中にシナリオを書ける生徒がおり、次第にシナリオ制作をその生徒にお願いするようになりました。そして今は当社にシナリオライターとして在籍しています。
さらに、そのワークショップでボイスドラマや朗読などを制作していくうちに、教え子たちが成長し、今では会社の所属タレントや音響ディレクターやエンジニアになっています。
私は、いつも人との巡り合わせに助けられてきたと心から感謝しています。
そうした人のご縁や期待に応えるためにも、経営者として冷静な判断力と決断力を持ちながら、何か困った時には寄り添い、頼れる存在でありたいと強く思っています。

▼今後、会社で実現したいこと
ひとつの“カタチ”を確立した今、さらに進化したMYSTARとして発展していくために、新たな変化を起こしていこうと考えています。
私は、“安定”はずっと続くとは限らないと思うのです。“安定”の表面は変わらないかもしれませんが、内包される考えや気持ちは、自然と変わりゆくものではないでしょうか。だからこそ、事業として安定した基盤は大事にしながら、自らが能動的に変化を起こさなければ、本当の意味で「安定」を継続していくことはできないだろうと考えています。
そこで、様々な可能性を模索して、新しい形態の会社をもうひとつ立ち上げる構想を練っています。どういった新しい“カタチ”でMYSTARを進化させられるか、検討を重ねています。
そして、その先の未来には、社員の採用を増やし、複数の会社をつくりホールディングス化して、グループ企業としてエンターテインメントに関わる様々な運営を行っていこうと大きな展望を描いています。
私は、これまで多岐にわたる経験をさせていただきました。それこそ、たったひとつの道も「一流」とは呼べるものはなかったかもしれません。そうであったとしても、これまでの様々な経験を活かせるものは何だろうと考えた時、自分が経験したものたちを大きく育てていくことだと確信したのです。
現在では、エンタメコンテンツの種類も豊富で、表現の場は多岐にわたっています。TikTok、YouTubeといった配信系コンテンツから、Netflixなどのオリジナル作品まで、楽しめるコンテンツが山ほどあります。
こうした豊富なコンテンツがある中で、声優や俳優などの表現者に多くの活躍の場をつくり、その可能性を最大限に広げることに貢献していきたいのです。
こう強く思うのは、私自身が声優、俳優という役者であるからです。
役者だけで生計を立てられる人は、残念ながらほんの一握りです。仕事がなく、日々の生活もままならない役者も多くいます。だからこそ、そうした人を一人でも多く減らしていきたいと強く願っています。
現状の“安定”に甘んじることなく、楽しみながら自ら変化し続けることが、光り輝く未来につながると強く信じています。
▼さいごに
私自身の人生をひとつの作品に例えるなら、現在地は「起承転結」でいうところの「承」の後半に位置しているかもしれません。
前半の見せ場を乗り越え、観客に飽きが出始める頃ですが、ここから「転」へと向かって、離れかけた人々の心を再び掴みに行きます。これからの展開は、急激に盛り上がっていくかもしれませんし、嵐が吹き荒んでいる道を進んでいくかもしれません。それは私自身にも分からないことですが、どんな道であっても、それもまた楽しんでいきたいと思っています。
自分の半生を振り返り、私が思うことは、「チャレンジし続けることの大切さ」です。
それは、大きなものである必要はなく、小さな「やってみよう」も立派なチャレンジだと思うのです。私自身20代に、様々な分野の小さな挑戦を重ねたからこそ、それが培われて今があります。
小さな積み重ねの結果は、すぐに出るか、10年後、20年後に出るかは分かりません。ただ、その経験は決して無駄なものではなく、いつかどこかで実を結ぶ時がくるはずです。
日々の積み重ねが、成長の糧となり、やがては人生を豊かにする「実り」となるのです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
MYSTARの声優たちを応援していただけたら幸いです。
これからも声優たちが活躍できる場所を広げ、業界全体を盛り上げていけるよう、力を尽くしていきます。
