2025-09-02

「楽しく、優しく、正しく」を貫き、世界中に感動と革新を届ける

株式会社なんでもドラフト / 森井 啓允
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TopVoice

東京都

森井啓允の原点と最前線を走り続けた会社員時代

はじめまして。
「株式会社なんでもドラフト」の共同創業CEO及びBizDev Dojoの共同創業CEOを務める森井啓允です。

「なんでもドラフト」は、イノベーションの力で新たなスポーツ・エンターテインメントを創造し、まだ見ぬ感動と熱狂を人々に届けることを目指しています。テクノロジーと融合させ、イベント連携によるリアル感やゲーム性を融合させたアプリ「なんドラ」の展開や各種リーグ・団体と協業し、様々な企画を行っております。現在はグローバル市場での本格展開やスポーツのトータルサポート企業へとなるべく事業の地域と領域の幅を広げています。

「BizDev Dojo」はアメリカを拠点とし、シリコンバレーを中心とした最先端のイノベーションに関わるパートナーと共に、お客様の新規事業や新規事業企画・開発のための組織作りなどを行っています。

▼”伝える”ことの重要性を知る ──阪神・淡路大震災をテーマした「卒論」
メディアの世界に入る原点となった経験が中学時代にあります。孫正義さんや堀江貴文さんで有名な久留米大学附設中学校・高校に通っていました。
中学で卒業論文の課題があり、「阪神・淡路大震災」を研究テーマに選びました。勉強熱心な方ではありませんでしたが、この時ばかりは本気で取り組みました。これは「きちんと知らなくてはならないこと」だと、ずっと頭の中にあったからです。

阪神・淡路大震災の直前まで、兵庫県で暮らしており、僕が東京へ引っ越した直後に大震災が起きました。写真家の祖父が震災の直後の様子を写真で収めていて、自分と家族が住んでいた家が崩れ落ちる様を写真を通して目の当たりにしました。そして、僕たちの後にその家に入居した5人家族のうち、3人の子どもが亡くなったという話を聞きました。電話もつながらず、母はテレビにかじりつくように号泣していました。子どもながらにショックを受けましたが、「これは映画ではなく現実なのだ」と突きつけられる想いでした。直接被災した訳ではなかったものの、これは他人事ではないと深く考えさせられたのです。

こうして書き上げた論文が全国コンクールの金賞を含め多くの賞や評価を受け、テレビや新聞の取材でも取り上げられました。しかし、それらの賞よりも、偶然この論文を読んだという被災地の方からの手紙が自分の心を動かしました。自ら発信することの大きさ感じ、何か人にものを伝える仕事をしたいと考えるきっかけとなりました。

その後、高校では文化祭の委員長を務め、学生芸人としてコンビを組み、コンテストで優勝し吉本興業からスカウトも受けました。お笑い芸人にチャレンジしたい思いもありましたが、自分が舞台に立つよりも、文化祭でステージをつくり上げた時の方が楽しかったと感じ、コンビは解散、相方は東大へ、自分は早稲田大学へ入学しました。

そして就職活動では、子どもの頃に感じたメディアの衝撃も大きく、一番影響力のあると考えた“テレビ”というステージで勝負したいと思いました。そして、念願が叶いTBSへ入社したのです。

▼憧れだったテレビ局 ──理想と現実のギャップ
最初の仕事は、当時大阪で行われた世界陸上。幸運なことに、その中でも最前線の現場を経験しました。中継の補佐役としてスタジアムに張り付き、世界一の瞬間を目の前で目撃することができました。
その他にも「朝ズバッ!」や「サンデージャポン」などの情報・報道番組を担当し、エンタメのど真ん中で、忙しくも充実した日々を過ごしていました。

ただ、濃密な日々の中で、心の中に小さな”しこり”が積もっていくのを感じました。
無類のテレビっ子だった僕ですが、「見ること」と「つくること」はまったく別物だったのです。その違和感は次第に大きくなり、その存在を無視できなくなっていました。それでも気持ちに蓋をして体に鞭打ち仕事をしていたのですが、すでに心も体も限界にきていました。
そこには「楽しい」という感情を忘れてしまった自分がいました。「自分が楽しくないのに、人を楽しませることはできない」―“テレビ”を離れることも頭をよぎりました。

最後に担当したのは宣伝プロデューサー。ドラマ制作現場の記事作成、宣伝写真の選定、記者発表など、まさに花形で、天職と思えるような仕事でした。だからこそ「今なら辞められる」と思いました。「楽しい」まま辞めるなら悔いはない、「逃げではない」と、自分に言い聞かせ、TBSを退社し、アメリカに留学することを決意しました。

最終出社の日、冬の朝にも関わらずアメリカ国旗のタンクトップを着て、TBS本社の入口で挨拶をしながら、ここにいたはずの自分に負けない人生を送ることを誓いました。(怪しいタンクトップの男に対し警備員出動スレスレだったことは後から聞きました。)

TBSを発った後も、エンタメの世界を突き詰めることは諦めていませんでした。
むしろ、いつか“テレビ”に戻って「究極のエンタメをつくる」と思いアメリカへと渡りました。

▼世界のエンターテインメントを知る 
アメリカでは、ニューヨークの専門大学院でエンタメやメディアビジネスを学び、MBAを取得しました。最初はどこか“テレビ”に未練もありましたが、それもすぐに吹き飛びました。

僕は今までいわゆる“エリートコース”を歩んできたと思います。いい学校に行き、推薦で大学へ入り、体育会系で日本一になり、誰もが憧れるテレビ局に入って。
ところが、毎日毎日タイムズスクエアを通り学校へ通う中で、自分より若くてこんなにもすごい人たちが大勢いる、ということを思い知らされたのです。それと当時に、本当のエンタメのレベルの違いや世界の広さを知って、一気に視界が広がりました。“テレビ”に戻りたいと考えていた自分ですが、テレビというのは広い世界のビジネスやエンタメの一部分でしかないと気づき、固執しようとは思わなくなりました。

▼ソフトバンクに入社、そしてシリコンバレーへ
その後、ソフトバンクに入社し、国内外の新規事業や孫正義社長(当時)のスピーチライター・プレゼン資料作成などを担当しました。
シリコンバレーに赴任して、事業開発やベンチャー投資に携わり、1年で500人くらいの社長と会いました。多くのアイデアや新規事業の立ち上げに携わる中で、ゼロから価値を生み出すための発想力や企画力、実行力が鍛えられたと思います。孫さんから受けた影響は非常に大きく、多くを学びました。

また、ビジネスのスケールや本当の“天才”との格の違いをイヤというほど思い知らされました。テクノロジー、世の中の変化、一つ一つがまさに度肝を抜かれるほど。多くのアイデアを生み出してきたつもりでしたが、自分の考えたアイデアなど80億人が思っているひとつでしかないと、痛感させられました。

それなら、シリコンバレーという最先端の現場――まさに孫さんの言う「タイムマシン経営」の中心――に身を置けば、「みんなが面白いと思うこと」を自分の手で生み出せるようになると考えました。
学校の勉強は嫌いでしたが、好きなことや気になることは徹底的に調べるタイプで、ビジネスモデルや資金調達、興味のある会社など、綿密に調べ続けてきた結果として、知識も蓄積されていきました。

▼急成長の不動産企業オープンハウスにCIOとして参画
その後、不動産企業のオープンハウスに転職し、CIO(Chief Innovation Officer)としてシリコンバレー拠点の立ち上げや新規事業・ブランディングの責任者を務めました。

オープンハウスの荒井正昭社長にも、非常にお世話になりました。
入社の経緯も信じられない展開だったのですが、それは今回は置いておくとしまして、、、
新規事業企画において、荒井社長は、その場での意思決定をドンドン下します。面白さだけではなく、時代の流れや市場の状況、収益性ということも重視した上での議論が行われます。そのスピード感と切迫感の中で、月に10件の新規事業を提案し続け、ハイペースで事業を立ち上げていました。この環境の中で、自分の力を格段に高めることができたと思います。

荒井社長に関して、特に印象に残っている出来事があります。
ソフトバンクや他企業と共同でオープンイノベーションを進めることになり、一軒家を丸ごと使う実証型のプロジェクトを立ち上げました。該当部署の役員に相談をし、プロジェクトで使用する家の候補をいくつか確保し、荒井社長のもとへ行くと、「本気でやる気ある!?」と怒られたのです。私は「は、はい!」と答えると、社長はその場で電話を掛け、東京港区の一番高額な物件を「森井が使うから」と押さえてくれたのです。
そして、「じゃあ、本気でよろしくね」と一言。

この半端ないプレッシャーの掛け方と、人の心の掴み方には驚かされました。普通の空いている家ではなく、会社で一番高額な土地を託され、建てながら好きに使っていいと。
こちらの覚悟もまったく変わりました。偉大な経営者の手腕を間近で学んだ瞬間でした。

やがて、オープンハウスが名だたる企業を抜き去り一兆円企業へと邁進する中、孫社長や荒井社長の後を追うべく独立・起業への道へと進みました。

イノベーションがもたらす無限の可能性

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▼会社設立への想い
起業への想いは、ソフトバンク時代からありました。当時、誰よりも多くの新規事業を提案し、成果も出していましたが、それはあくまでも会社としての成果で、シリコンバレーという最先端にいながら、「自分の挑戦」はできていない——そんな歯痒さを感じ、いつか最高にテックで最高にエンタメな自分の会社をつくりたいという想いが強くなりました。

今まで、「仕事の為の人生」を歩んできたので、起業で勝負する際には、「人生を彩る為の仕事」にしていこうと決めていました。
そんな想いに賛同してくれたのが共同創業COO/CFOの並木でした。並木はアメリカで生まれ日米の公認会計士の資格を持ち、UCバークレーのMBA卒で、投資銀行マンとしてシリコンバレーのトップVCたちとのネットワークを持っていました。0→1で企画から立ち上げが得意な自分と、事業を大きくしたり支えたりするのが得意な並木が組めば最強だと確信。そしてスポーツやエンタメ好きという共通点もありました。彼自身も「仕事の為の人生」を歩んできたのもあり、「人生を彩る為の仕事」という想いに深く共感してくれ、共に起業することを決意したのです。

こうして、「BizDev Dojo」という新規事業の創出で日本のイノベーションを推進する会社と、日本のスポーツ界にテクノロジーとビジネスを導入し革新をもたらす「なんでもドラフト」という会社が誕生しました。

▼どんな業界にもイノベーションのチャンスがある
当社は、業種を問わず様々な企業の新規事業立ち上げを支援しています。エンタメやメディア業界との取り組みが多い一方で、製造業や水産業など、幅広い産業からの引き合いも多くなっています。ご依頼をいただいた際には、1か月で30件以上の事業アイデアを創出。業界の成熟度や市場環境に関わらず、どの産業にもイノベーションを起こし、新たな価値を生み出すチャンスがあると考えています。アイデア創出から事業設計、ブランディング、実行フェーズまで一貫して伴走できるのも強みです。
「イノベーションを興したい」「新たな成長の柱をつくりたい」とお考えの企業様に、ご相談いただければお力になれる自信があります。

印象的な仕事の一例でいうと、ハワイに“極上のエンタメ劇場”をつくる企画を大手旅行会社に持ち込みました。超有名建築事務所のデザイナーに依頼してパース図面も制作し、プロジェクトは具体的な実施準備まで進んでいましたが、コロナ禍の影響により一時中断となりました。いずれかのタイミングで再始動させたい、思い入れのある企画です。

最もインパクト大きかった仕事は、某大手企業の新規事業領域への参入プロジェクトです。詳細は開示できませんが、記者発表・プレスリリース当日に金融ニュースで“今日の最注目株”として紹介され、大きな反響を得ました。時価総額経営を重視してきた自分にとって、「これだ」と思える強烈な手応えを感じた瞬間でした。
また、某金融系の大企業での新規事業コンテストのサポートも感慨深かったです。決勝を通過した20チーム全てのブラッシュアップを半年かけて行い、経営陣への最終プレゼンの際には、学生時代のスポーツの大会のような青春を感じることもでき、非常にやりがいのあるプロジェクトでした。

▼“天才”経営者に共通する点
孫さんや荒井社長をはじめ、多くの並外れた“天才”経営者にお会いしてきました。その方たちに共通する点が3つあります。

ひとつは対峙した瞬間に、感じる怖いくらいの気迫。「この人ならやり遂げるかもしれない」と本気で思わせる何か。資金を託す立場の人間を納得させるには、命懸けの覚悟と行動が必要で、それが気迫として滲み出ているのかもしれません。 

また、人の話を本当に真剣に聞いています。それは役職や年齢に関係なく、誰の話でもです。社員一人ひとりの出身や家族構成など、細かな情報まで把握しているのです。人の心を動かす根底には、こうした観察力と記憶力、そして本気の関心があるのだと思います。
それは、その人の価値観や生き方を知り、「いざという時に任せられるか」、「逃げずにやり切るか」といった判断も行っているからかもしれません。

最後の共通点は、「楽しそう」だということ。多くの緊迫したシビアな戦いを続けているはずなのに、なぜかいつ会ってもワクワク楽しそうにしているのです。

”天才”と思わせるような経営者にはこうした共通点を感じました。

信念を胸に、ひたすら前に進んでいく

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▼今後、会社で実現したいこと
思えば、創業直後にコロナ禍が訪れ、スポーツの試合も行えず、ピンチの中でのスタートでした。その後も、環境や社会情勢の変化で紆余曲折はありましたが、地道にスポーツチームを集め続け、ようやく2024年にはプロ野球の公式アプリをローンチすることができました。

多くのピンチを経験してきた中で、自分たちなりの“ピンチの乗り越え方”も見えてきました。それは、ピンチに陥った時こそ「必ず新しいことに挑戦する」ということです。そんな発想で、様々な仕掛けを生み出してきました。

そして今、世界で勝負できるプロダクトをつくり上げ、グローバル市場への大きな挑戦の渦中にいます。すでに多くの引き合いもいただいており、まずはこの事業を世界で成功させ、いつか日本でも展開することを視野に入れています。

そしていずれは、スポーツチームを持つことも目指しています。
アイデアで感動とイノベーションを生み出し、それを世界に循環させていく——そんな挑戦を、これからも続けていきます。

▼さいごに
僕には「“モノホン”になる」という座右の銘があります。
高校の先生に「ホンモノになれ」と言われ続けてきました。それを“モノホン”と呼んでいます。ビートルズがラップを歌っても、大谷翔平が逆さのバットで素振りしても、世界中が「これだ」と肯定すると思うのです。“モノホン”は「あの人がやるのなら間違いない」というようなホンモノの存在です。

そして、“モノホン”として大切なことは、決して曲がったことをしてはいけないということ。
僕には、世間から「求められるもの」と自分の中にある「楽しさ」「優しさ」「正しさ」の狭間で苦しんだ経験があります。だからこそ、自分の会社では、みんなが楽しく、優しく、正しくいられて、人生を彩る為に仕事ができる、そんな会社をつくりたいという強い決意で起業したのです。

また、「正しさ」や「優しさ」に真剣に向き合ってきたからこそ、スポーツやエンタメに関わる会社として、違法行為やグレーソーン、誰かを傷つけることは絶対にしないと掲げています。
これまでにも、スポーツ庁や競技団体との協業をはじめ、100を超えるスポーツ団体との提携、法律事務所とも連携しながら、徹底した法令遵守を貫いた経営を行ってきました。

“社長”という役割を担う人間として、まずは自分が“モノホン”になり、そして、“モノホン”の会社をつくっていく覚悟です。

成功までの道のりは平坦ではないかもしれませんが、これからも「楽しさ」「優しさ」「正しさ」を貫きながら、仲間とともに最高にテックでエンタメなスポーツや熱狂をお届けすべく、笑顔で戦っていきます。

最後までご覧いただきありがとうございました。
ご興味を持っていただけた方はお気軽にご連絡ください。

profile

氏名
森井 啓允
役職
共同創業CEO
Linkedin
https://www.linkedin.com/in/hiromitsu-morii-3a401636

Introduction

企業名
株式会社なんでもドラフト
所在地
東京都渋谷区恵比寿西1丁目33番6号
事業内容
イノベーションの力で新たなスポーツ・エンターテインメントを創造し、まだ見ぬ感動と熱狂を人々に届けることを目指しています。テクノロジーと融合させ、イベント連携によるリアル感やゲーム性を融合させたアプリ「なんドラ」の展開や各種リーグ・団体と協業し、様々な企画を行っております。
現在はグローバル市場での本格展開やスポーツのトータルサポート企業へとなるべく事業の地域と領域の幅を広げています。
企業サイト
https://nandora.net/
X(Twitter)
https://x.com/info_nandora
Youtube
https://www.youtube.com/@nandemo-draft
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