はじめまして。
GR Japan株式会社のディレクターを務める坂元大輔です。
GR Japanは政府渉外・公共政策アドバイザリーおよびパブリック・アフェアーズを専門とするコンサルティング企業です。
多様な専門性を持つコンサルタントが、豊富な人脈と経験を活かし、政策動向のモニタリングから政策提言活動まで、お客様の課題や目的に即した支援をタイムリーに提供しています。
▼敷かれたレールを外れ、未知の世界へ挑戦
私は大阪で生まれ、中学・高校は関西屈指の進学校である東大寺学園へ入学しました。国内の難関大学を目指すのが一般的な進路で、私も勉強に打ち込む毎日でした。
その原点には、幼い頃から尊敬していた父の存在があります。
父は、いわゆる「団塊の世代」の人で、経済的な事情で大学進学を断念。高校卒業後すぐに市役所で地方公務員として働き始めました。子どもの私の目にも、父は「仕事のできる人」でしたが、当時は学歴がすべてで、実力があっても、重要な仕事を任されることはありませんでした。
父は口にこそ出しませんでしたが、その背中が静かに語っていました。
だから私は、東大に進み、父が叶えられなかった国家公務員になって、社会を動かしたいと思ったのです。
そして、東大を目指して勉強に打ち込み、合格は現実的なものとして手の届く位置にありました。
ところが、心の奥では何か引っかかるものを感じていました。
「それは本当にやりたいことなのか」「見えているレールを進むことが、自分の人生なのか」
そんな疑問が、次第に大きくなりました。
悩んだ末、私が選んだのは、当時としてはかなり異例な道でした。
それは、「未知の世界に飛び込む」という決断。
経験したことのない世界に身を投じることで、これまで見えなかった何かが見えるかもしれない。そう信じたのです。
そして、東大へは進まず、アメリカ・シアトルにある大学へと進学しました。
▼ケニアの友人から受けた衝撃――「夢」から「志」への変化
留学先では、その後の人生に大きく影響する経験を、数多くさせてもらいました。
アメリカ西海岸という土地柄もあり、大学にはアジア、アフリカ、南米など、多様な文化背景を持つ学生たちが集っていました。
私自身も、勉強はもちろん、様々なことに挑戦し、努力を重ねていたつもりでした。
そんな中、価値観を大きく覆すような出来事があったのです。
ケニアから来た留学生の友人がいました。彼と接するうちに、自分の努力がいかに小さいかを思い知らされたのです。
瞳の輝き、行動力、みなぎるバイタリティ――彼をはじめとする、発展途上の国々の若者たちは、強烈な意志と覚悟を持ってたゆまぬ努力を続けていました。
なぜそこまで頑張れるのか、と彼に尋ねました。
「ケニアでは多くの子どもたちが小学校を卒業するとすぐに働かなくてはならない。自分は地域や国の支援で高等教育や大学進学、アメリカ留学の機会を得た。」
「自分のようにきちんとした教育を受けられる子どもを一人でも多くケニアで増やしたい。アメリカで学んだ最新の教育の知見を持ち帰り、自国の教育制度をつくっていきたい。」
彼は熱い想いを語ってくれました。
それを聞いて、私は頭を思いきり殴られたかのような衝撃を感じました。それは今でも鮮明に覚えています。
私は「自分の夢」を追ってアメリカへ来ました。でも彼は「人や社会のために何をなすべきか」を考え人生を歩んでいました。彼が目指したのは「志」でした。その目標に向かい、日々ゆるぎない努力を重ねていた。私との“差”は明白でした。
この出来事が、私を根底から変えました。「自分が何をしたいか」ではなく、「人のため、社会のために何をすべきか」へと、視点が大きく切り替わり、人生の転機となったのです。
▼外に出て見えた日本の姿
海外で暮らしていたからこそ見えた、日本の姿がありました。特に強く感じたのが、自分も含め、若い世代にエネルギーがないということ。どこか瞳に“生気”が感じられないのです。
日本は物質的には豊かで、日々の暮らしに困ることは滅多にありません。けれど、若者の瞳に“光”がなく、希望を持って生きているようには見えないのです。
一方で、ケニアの友人たちに感じたバイタリティや能力を考えると、日本が他の国々に追い越される日も遠くはないかもしれない。そんな強い危機感を覚えました。
次第に「日本、そして日本の若者はこのままでいいのか」という疑問が湧き、それからは、その視点で「何をすべきか」を考えるようになりました。自分が貢献できる様々な選択肢を模索して、私が辿り着いたのは想像もしていなかった世界でした。
▼「政治の可能性」との出会い
留学最後の年、2008年は大統領選の真っ只中。日本ほどではありませんが、相対的に見るとアメリカの若者も政治への関心は高くありません。けれども、この年は様子が違いました。
そこには、バラク・オバマ氏の姿があったのです。彼を大統領にすることで、人種差別の負の歴史や、停滞するアメリカを「Change」するのだという、大きな力が若者の中にも広がっていったのです。彼らが一丸となり、自らの意思で国や政治を動かそうとする莫大なエネルギーに圧倒されました。
その時、政治は社会全体の空気を変え、若者の瞳を輝かせるほどのエネルギーを持ち得るのだと実感しました。それは、自分が模索していた若者にとっての“希望や情熱の火種”であり、若い力を動かす原動力になり得ると思ったのです。
それまで日本の政治に対して問題意識は持っていましたが、当事者としてその世界に入ることは考えていませんでした。しかし、この時に触れたエネルギーの大きさに心を動かされ、卒業後は帰国し、政治の世界へ進むことを決心しました。
▼ゼロからの挑戦、そして国政へ
留学を終え日本に戻った私は、政治の世界に入る前に “社会の現場”を知ることが不可欠だと考え、医療系企業に営業として就職しました。
その後、社会人として働きながら、休日や夜の時間をうまく使って地方議員や国会議員とのネットワークを広げ、選挙を含む「政治の現場」の経験を積みました。そして縁あって橋下徹さんを中心とする「大阪維新の会」の運動に参画し、「維新政治塾」の第一期生として、30歳のときに初めて衆議院選挙に挑みました。結果は、小選挙区で敗れるものの、比例代表で復活当選を果たし、初めて国会の場に足を踏み入れることとなりました。
国会という国政の場で、精一杯の努力を重ねたつもりでしたが、結局は野党の若手議員の一人に過ぎず、実現できることは限られていました。具体的な成果を残すには至らず、衆議院議員として2年の任期を終えました。
その後、維新の会の分裂、新党の結成と解体、想定外の衆議院解散といった激動の中で、国政を目指すキャリアは一旦途絶え、復帰を試みるも、長く表舞台から遠ざかる日々が続いていました。
そんな時に、声を掛けてくれたのがGR Japanの代表取締役社長、ヤコブ・エドバーグだったのです。
▼“立場”は変わっても、目指すものは変わらない
実は、国会議員として活動していた頃から社長のヤコブとは面識がありました。当時はGR Japanから働きかけを受ける立場でしたが、彼のユニークさと信頼できる人柄が強く印象に残っていました。
その後、私が国政を目指して、模索を続けていた間に、GR Japanのビジネスも拡大していきました。やがて大阪でも事業展開をすることとなり、事務所の責任者の一人として参加して欲しいという誘いを受けたのです。
私自身、家族もある中で、見通しもないまま国政への挑戦を続けることの難しさを感じていました。
ヤコブとのやりとりを通して、GR Japanの事業や提供する価値についての理解を深めていき、政治や政策に違う角度から関わることで、自分の想いを実現することができるのではないか、そう思うようになりました。
そして、GR Japanへの入社を決意したのです。
▼政策と現場をつなぐ、プロフェッショナル集団
GR Japanは、日本で初めて設立された、公共政策分野に特化したコンサルティング会社です。創業者であり社長のヤコブは、欧州の在日大使館や商工会議所で政策コンサルティングの経験を積み、日本でも同様の仕組みが必要だと考え、2010年に当社を設立しました。
当社はすべての政策分野をカバーしており、入社当初は私も一人のコンサルタントとして多岐にわたるプロジェクトを担当しました。2021年からは、最も大きな部門である医療・ヘルスケア分野の統括責任者を務めており、2025年1月からは、その役割に加え、役員も兼任しています。
当社のことをもう少し詳しくお話しします。当社が行うのは、企業・非営利団体・業界団体などの政府渉外活動の支援です。法律や制度、予算の見直しに向けた働きかけをはじめ、関連情報の収集・分析、官公庁との折衝の場の設定、国会議員との面談調整、メッセージの設計など、政策形成に向けた幅広いサポートを行っています。
企業や非営利団体が、ビジネスを行う際には、国の政策や予算が密接に関係します。そこには当然、さまざまな意見や要望が生まれます。
しかし従来は、そうした声を届ける役割は主に業界団体が担ってきました。ところが、ITをはじめとした新産業には、そもそも業界団体の存在や活動基盤が整っていないことも少なくありません。また、これまで通用していたアプローチが効かなくなってきているのも事実です。
私たちのような専門性を持ち、公共機関や政府側が受け入れられる形でメッセージを届け、法律や制度へ反映、さらには予算をどういうロジックで動かしていくかといった部分までコンサルティグする存在が、今、強く求められているのです。
欧米ではすでに一般的なこのような支援が、日本でも注目され始めています。
また、私たちのお客様の多くは、グローバルに事業を展開しています。国内にとどまらず、各国での支援ニーズが高まる中で、2019年には韓国に「GR Korea」、2024年には台湾に「GR Taiwan」を設立。ロンドン、ワシントンD.C.、シンガポールにも拠点を構え、「The GR Company」というグループとして、国境を越えた政策形成や制度設計に対する包括的な支援を可能にする体制を整えています。
▼幅広いバックグラウンドを活かした多角的アプローチ
当社の最大の強みは、多様なバックグラウンドを持つコンサルタントが集結している点にあります。国会議員や議員秘書、官僚、大学研究者といった様々な経歴を持つメンバーに加え、異なる国籍や文化的背景を持つプロフェッショナルも多数在籍。こうした多様性に富んだメンバーが、プロジェクトごとに最適なチームを編成することで、複眼的な視点と柔軟な提案力を発揮し、お客様に最適な価値を提供しています。
日本国内において、規模・実績・歴史のいずれにおいてもトップクラスであると自負しています。
これまでに築き上げてきた経験とネットワークを最大限に活かし、多様なニーズに対応してきました。近年、同様の領域で活動する企業も増えていますが、当社の特徴は「広さ」と「深さ」の両方を兼ね備えている点にあります。広範な領域やネットワークを有し、それぞれを丁寧に育み、緻密で繊細な仕事を積み重ねてきた実績があるのです。こうした信頼の構築は、一朝一夕に成し得るものではありません。
また、政策や制度を動かすことは、国・地方を問わず決して容易ではなく、実現までに多くの時間を要することもあります。それでも、国に比べれば、地方自治体の方が意思決定は迅速です。
しかし一方で、地方自治体への働きかけは、丁寧で細やかな対応が求められます。それぞれの地方が抱える事情や背景はまったく異なるため、画一的なアプローチでは望む成果を得ることはできません。それぞれの特性を深く理解し、地方においても確かなネットワークと現場対応力を有した丁寧なコンサルティングができるのも当社ならではの強みです。
こうした成功事例を創出し、他地域への展開や国への政策提言へとつなげることも行っています。一つひとつの実績が、国・地方を網羅した、私たちのあらゆる取り組みを支えているのです。
▼今後、会社で実現したいこと
会社全体としては、日本国内でさらなる拡大を図りながら、海外での事業展開にも力を入れていきたいと考えています。
現在は、韓国と台湾以外の、他の国々も視野に入れ、東アジア全体でのビジネスを広げていく方針です。
私が統括するヘルスケア・医療分野おいても、支援の幅をさらに広げていく所存です。
今後、少子高齢化がますます進み、社会保障費が膨らむ中で、限られた国家財源をいかに効率的かつ効果的に活用していくかが大きな課題となっています。一方で、医療技術の進化も急速に進んでいます。私たちはこうした課題の中で、民間と公共・政府の橋渡し役となり、交渉や折衝を支援していきます。双方にとってメリットのある仕組みづくりはもちろん、公共政策に関わる立場として、最終的には「国民にとっての最良の着地点」を見出すことに貢献したいと考えています。
▼さいごに
私の人生で「一番の失敗」ともいえる経験は、国会議員時代にあります。
お話したように、野党の若手議員として懸命に努力しましたが、国政の場で、具体的な結果を出すことは叶いませんでした。
落選後も多くの想定外の事態に直面し、時流を読み誤り、国政復帰はどんどん遠のいていきました。
しかし、GR Japanに入社し、国会議員時代には果たせなかったことを実現する機会に恵まれました。
私たちが支援をした、ある医療関連政策が大きく動いたのです。
これは、私が国会議員時代から主張していたもので、野党の一議員として声を上げても一向に動かず、与党の有力政治家が関与しても変化の兆しすらなかった極めて困難なテーマでした。
それが、ようやく大きく前進したのです。
もちろん、私たちの力だけで成し遂げたものではなく、多くの方々の知見と協力があってこその成果です。それでも、自分の人生にとっても社会全体にとっても、やっと具体的な結果を形にできたという事実に、深い感動を覚えました。
私は、「人のため、社会のため」に行動するうえで、何よりも重要なのは“結果を出すこと”だと考えています。
アメリカ留学時に決意した「若い世代を動かしたい」、「日本のために何ができるか」という“志”は、あの時からずっと燃え続けています。
それを実現できるのは、「政治」だという想いも変わらないままです。
ただ、今後どういう立場にあっても、「自分の残りの人生の中で、何をすれば最大のパフォーマンスが発揮できるのか」、「人や社会のために結果を残せるのか」を問い続けながら、これからの道を歩んでいきたいと思います。
一人ひとりの力は草の根のように小さくても、それが大きくなり一つになった時には、信じられないほどの巨大なパワーを生み出します。
自分の志を信じて行動する若い世代が、一人でも増えることを願っています。
日本の未来は、私たち一人ひとりの手にかかっているのです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。